ヘルシンキ建築日誌 2月21日(月) (→HOME)
□朝食:ホテル
⇒1駅だけトラムに乗る
(中央駅の西・西北)
☆フィンランディア・タロ (1971,75、アールト)
まず外構を見て、10時から内部を見せて頂いた。
(解説)会議場+コンサートホール(大、小)の白い複合施設。日本ではフィンランディア・ホールと呼ばれるが、現地ではフィンランディア・タロと呼ばれる。ホールと呼ぶとホールだけを指すのかまぎらわしい。これは、アールトが手がけたヘルシンキ中心部の再開発計画(1961〜1972年)の中で唯一実現したもの。トーロ湾岸開発計画のひとつとして1967〜71年にかけて建設された。ホールは公園に面して正面玄関がある。コンサート・ホールは1,750席、室内楽ホール350席。レストランは300席。会議ホールは仕切りをとると900人収容の会議施設として利用できる。全体的にトーロ湾側と公園及びマンネルヘイミンティエ通り側とでは異なって見える。しかしいずれも大理石と黒い御影石で装飾されている。
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(コメント)見に来てまず外側を一周したのだが、場所によって見え方・表情が大きく異なるのがこの建物の特徴の1つだ。会議場の棟とコンサートホールの棟は形が違って分節している。ホールは屋根が特徴的な扇側なのだが通り側からは扇の形が見えて、湾側からは見えないで大きな塊に見える。湾側は地階、1F、2〜3Fで表情を変えてあって、1F部分にテラスが回してある。ちょっとした形の配分も落ち着いて見える。1Fを黒く帯状にしてあるとか、地階の列柱の上に白いテラスが回してあるところとか、会議棟の西側全体とか、どこをとっても形のコントロールが効いている。模型でしっかりと形を確認した事が実作に出ていると思った。
例えば湾側から建物の北の端を見ると、その部分を見ただけで私はうなってしまった。どうしてこの形にしたんだろうか。どうしてこんなに形がしっくり来るのか。恐らくアールトにとってはランプシェードを考える時も、このフィンランディア・タロの地階、1階といった層の関係を検討している時も、形をみる目は基本的に同じだったに違いない。うまい人は違うなぁという感じがする。
内部だが、一言で言うと広い空間のはずなのに空間体験的には分節されている。1Fは天井が低く(つまり普通のビルと同じで)、広いのに外套・荷物預けの場所が多いために全体を見通せない。階段・階段室がここかしこにあって、そこは誇張的にいえば横浜大桟橋ターミナルの内部から出入り口を見た時のように、人を吸い込んだり吐き出したりする特異点のような場所に見える。2Fに上がると急に天井が高く開放的になるが、壁や方向に応じて室内の景色というか見た目が違う。シーケンスがあるのだ。それで、1つの空間なのに歩いていると分節されている。いくら大きなヴォリュームのある空間だからといって、1つののっぺらぼうな空間に見えさせないのは工夫されている証拠といえよう。
あとコンサート・ホールには、何といいますか形態的なここだけの特徴というのは見いだしにくかった。でも側面は特徴的だったし、じっくり検討すればアールトらしいと納得するかもしれない。食堂はやけに大きくて、あとで平面図を見るとコンファレンス棟にある個々の会議室より大きい。食堂も隣の部屋との壁を取っ払うことが出来るようになっている。そもそも会議棟は小さいけれど、壁を取っ払って大きくできる。それに大きなコンファレンスなら大ホールだって使えるだろう。そういう事ならあのレストランの大きさも分かる。でも国際会議で必要な通訳設備などはちゃんとあるんだろうか。京都国際会議場みたいな会議専門施設と比べると力不足か(?)。
平面図
尚、私達が見た(案内して見せてもらった)内部は全体の一部であり、コンファレンス関連は見てない。後からパンフレットを見ると、まだまだ空間的に面白そうな場所がある。全部見たらまた違った感想が出てくるかもしれなかった。
★国会議事堂 (1930、J・S・シレーン)
土日の11,12,13時に見学があるみたいだが、内部は見ていない。
(解説)この建物はナショナル・ロマンティシズムではなく古典主義様式である。14本の堂々たる列柱がならぶ。古典主義様式は国家権威を象徴するのに非常にふさわしいと目される事が多い。完成までに25年もかけ1930年に竣工した。
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(コメント)まず用語の説明。「古典主義様式」という言葉は本来、フランスのルーヴル宮の東正面(17c)のようなオーダー建築の事をいうのだが、19c末〜20cになってからオーダーを援用した建物も指すようになった。19c前半ドイツのヴァルハラはギリシア神殿そのものの形をしているけれど、あれは「新古典主義」の後期ないしは「グリーク・リヴァイバル」という。19cの何とかリヴァイバルの時代を過ぎて様式でない建築がどんどん建つ時代になって、それでもオーダーを援用した建物は「古典主義様式」なのだろう。言葉がややこしい。
20c初頭になってまだオーダーを使いたいとしたら、それはどのような理由によるだろうか。ニューヨークの場合はシティ・ビューティフル運動が盛んで、古典主義大好き人間が幅を利かせていたから、
ニューヨーク公立図書館
(1911竣工)のような美しい古典主義建築が作られた。ヨーロッパの場合は私は詳しくないが、この国会議事堂の場合は国家とか格式とか権威を表わす手段だったようだ。
しかし事情の分からない私には疑問だらけである。フィンランドはロシア革命に乗じて1917年に独立した。国会議事堂なんてどうしてそれ以前に計画できたんだろう。推測できる事といえば、フィンランドという当時のロシア1地方の議事堂計画が、1917年を過ぎてから独立国家としての議事堂に計画変更されたという事だ。だとしたらこの列柱はその後で、堂々たる独立国家を示す意匠として計画され直したものに違いない。この建物を時代錯誤だと書いてある本もあったが、確信犯的に古典主義で計画したものと思える。国家権威をオーダーで表わすのはスターリン時代の建築やヒットラー建築もお手のものだったわけで、古典主義様式(オーダー)に「時代遅れ」はひょっとして無い?!ような気もしてくる。
さて、やっと実物の感想に移る。とにかくこの建物は14本の円柱を見せる。それがメインだ。しかし円柱にエンタシス(中央の微妙な膨らみ)が付いていない。本当に優美な古典様式を見せたければエンタシスは不可欠である。この建物はもっと何というか、機械的に整備された「国家機構の力」みたいなものを表わしている気がしてくる。それにエンタシスが無い柱が14本もどどっと並ぶことで、個性的というかこの建物が独自的なものに見えるだろう。建国の初心はよく伝わってくる気がする。
あと、この単純な直方体を見ていると、この建物はかなり急を要して設計されたのではないかと思った。円柱以外にそんなに見せ場というか意匠の検討を深く要する場所がこの建物には見当たらない気がする。円柱だってまっすぐだから、意匠的に単純明解で他の各部との調整・検討の必要性が少なかったであろう。計画から実現まで25年とは長いけど、実物の設計は急きょ変更が来て「えいや!」の勢いで作ったのではないか。そんな事を言って実はすごく熟考した結果だったら失礼ですけど。
☆テンペリアウキオ教会 (1969、ティモ&トゥオモ・スオマライネン)
月、水〜金10〜20:00、火10〜13,14〜20:00、土10〜18:00、日は行事が多いので注意。
コンサートなどがあると入場有料となる。
(解説)通称ロックチャーチ。岩をくりぬいて切断し外壁としている。美観と音響上の理由により岩肌露出。天井ドームと岩の間に180に別れた天窓がある。教会席は白樺で作られている。モダンな造り。
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(コメント)最初入口が分からなくてぐるっと回ったが、南側だった。写真で見ていた通りの場所だった。岩盤をくりぬいて空間を作り、円周状に岩盤の壁を作り、その上に石垣の層を作って、そこに180本の天窓のさんを立て、赤くて丸い天井を載せている。プロテスタントの教会はマリア像を置く場所でもなくイコンを掲げる場所でもない。
ウスペンスキー寺院
やローマのサン・パオロ教会のように内側を装飾や絵でコテコテにする趣味は全く無い。もっと別の何かを見せる場所である。それは十字架なんだけど、十字架だってそれは月を指す指みたいなもので、本当に見てもらいたいもの=神様は、建物の中の何によっても代理されていない。
カトリックやギリシア教会なら、直接「見てもらいたいもの」で満ちている(場合が多い)が、プロテスタント教会には「これを見てくれ!」というものが何も無い。テンペリアウキオ教会やオタニエミの礼拝堂の祭壇は簡素な限りである。その簡素さと、簡素なモダニズムはよく呼応すると言われる。しかし実際はどうなんだろう。モダニズムにおいても、例えばロウのコルビュジェ建築の分析においては、柱梁壁などそこにあるものががひるがえって鑑賞者の頭の中に作り出す概念みたいなものを見てもらいたがっている。モダニズムにおいても、そこにある柱梁壁だけが「見てもらいたいもの」ではない。では何を見てもらいたいのか。その見てもらいたいものと、プロテスタント教会が指し示したい目に見えない神様は呼応するか。
テンペリアウキオ教会(という建築)が見せているのはまずもって岩盤である。岩盤=自然だから、どこかで神様と通じ合っている。
オタニエミの礼拝堂
だって屋外に立つ十字架は木々と共にあり雪が降れば積もる。自然をとおして神様と通じ合っている。こういうところがさすが、根っからのプロテスタントの国という気がする。
一方、安藤忠雄の教会における「空間性」を示そうとする押しの強さみたいなものと、神様・宗教性は呼応してるだろうか。十時型の光を使うなどアイデアは良さそうだから、是非実地で空間を体験してみたいものだ(まだ行ってません)。丹下の
東京カテドラル聖マリア大聖堂
の場合は、内側が上へ上へと収斂するような空間になっていて、その上昇性が神様と空間を結びつけていた。但し、これはプロテスタントではない。では谷口吉生が教会を作ったらどうなるか、なんて興味があります。
□昼食:マウント・エベレスト(チベット料理)
⇒バス102番:Kamppi→オタニエミ
オタニエミにあるアールトなどの建築を見に行くには、地下鉄カンピKamppi駅を出てすぐ南の交差点の角にある
バス乗り場から市バス102,103番に乗る。102番で行けば、約20分でオタニエミの礼拝堂のすぐ近くが終点である。
途中でヘルシンキ工科大学本館も通る。103番だと大学本館の近くの停留所をすぎると別の場所に行ってしまうので、
注意を要する。帰りは大学本館の南にある停留所で102番でも103番でもKamppiが終点だから、これは問題ない。
☆オタニエミの礼拝堂 (1957、ヘイッキ&カイヤ・シレーン)、Ja:mera:ntaival 8, Espoo
市バス102番の終点から高台を登っていって、勘で建物を探す。歩いてすぐである。
(解説)風雨に晒されて立つ屋外の十字架を、祭壇正面のガラスから仰ぐ。煉瓦と木造の架構、組み込まれた照明、ハイサイドライトからの柔らかい光、脇の鐘楼やフェンスの丸太、などが特徴である。簡素で北欧的なデザインとミニマリズムを感じさせる。
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(コメント)この礼拝堂は、はっきり言って屋外に十字架を設けるというその一点だけの為に建っている。
テンペリアウキオ教会
のコメントでも書いたが、プロテスタント教会は、建物の中の何によっても神様や宗教観を代理させない。十字架だって「月を指す指」にすぎない。簡素な簡素な象徴なのだ。その十字架は屋外に立っており、木々と共にあり雪が降れば積もる。自然をとおして神様を「指し示して」いるのだ。プロテスタントの国らしい工夫だと思う。
建物の残りの部分は、この十字架「の為に」建てられている。全体の特徴は、何といっても片流れ屋根に平入りで十字架と対面することである。屋根の流れ方といい100%の開口部といい、建物が全身でもって十字架に向かっている。十字架と内部空間の対話がある。あらわしの天井といい建物はシンプルそのもので、十字架以外は何も余計なことを感じさせない。室内が木と煉瓦で出来ているというのも、自然素材を通じて神を意識させる(あるいは余計な事を意識させない)。独特の梁と架構が特徴だけれども、片流れ屋根が雪で崩れないように、一方向にワイヤーが張ってある。構造を100%見えさせるのは、何か日本の民家を連想しないでもない。シンプル。
でも、こうやって知的に建物を読み解こうとする分にはいいんだけど、私は宗教心がないから建物が指し示すものを感性的に全部読み切れない不満が残った。煉瓦の壁を見たって、あまりに簡素な祭壇を見たって、そっけなくて何も答えてはくれない。もし例えばこれがローマの
イル・ジェズ教会
だったら、あらゆる壁面絵画、あらゆる装飾が私に威厳をもって答えを与えれくれただろう。神様を信じていないんですか?、だったら神様についてお話ししてあげましょう。それはね、こうでね、こうでね‥‥。この教会はそんな饒舌なことは何ひとつ言わないで、たった一言「窓を見てごらんなさい」と言う。でもって、シンプルな十字架が見えるだけ。あとは外の景色。何というか間が持たないというか、落ち着くような落ち着かないような自分でもよく分からない気分のまま礼拝堂を後にした。
尚、国会議事堂を作ったJ・S・シレーンは1889-1961で、この礼拝堂を作ったシレーンとは何か血のつながりがあるんだろうか? その点はよく知らない。
☆ヘルシンキ工科大学キャンパス (アールト、他)、Otaniemiにある
ヘルシンキ工科大学は、エスポー市内にある。キャンパスは一般開放されている。
●本館:月〜木7:45〜20:00、金〜18:00
●図書館:月〜金8:00〜21:00、土9〜16:00
●ショッピングセンター:不明
●給水塔:外観のみ見学可
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(解説)このキャンパス設計は1949にコンペでアアルトがとった。敷地計画と大学本館、図書館、寮などがアールト。彼は大規模なキャンパス・プロジェクトとしては、この大学とユヴァスキュラ大学を手がけており、いずれもアメリカの大学キャンパスの影響を受けているといわれる。ヘルシンキ工科大学は建物の調和と建築構造上の一貫性が特徴とされる。本館は古代ローマの円形劇場を思い起こさせる造りで、各教室は中庭を囲むように設計されている。御影石と大理石をちりばめた赤レンガ作り。この色の煉瓦は北の風土(雪)にマッチするのにそれまであまり使われなかった。それをアールトが使ってはやらせた。建築学部棟には白い大理石がふんだんに使われている。大学図書館は1965〜1969年にかけて建設され、その意匠は本館と庭とのバランスをより見事にしているといわれる。
(コメント)キャンパスはざっと見ただけである。時間が限られていたので図書館も建築学部棟もそれとして見てない。だが全体として、とにかくみんなあの赤い煉瓦である。ちょっとやりすぎじゃないかと思うくらい赤煉瓦の応酬。でもって、多くの建物がモダニズムの横連子窓になぞらえて窓部分をダークな帯にしている。今更見るとちょっと滑稽な気もする。この赤は雪とは確かに相性がいいと思うんだけど、こんなに何もかも赤煉瓦にしなくったって違うものが混ざった方がより引き立つ気もする。
☆ヘルシンキ工科大学本館 Teknillisen Korkeakoulu(1964、アールト)、Otakaari 1, Espoo
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(解説)共用のホールやカフェ、建築学科、測量学科などが収まってかなり長く横たわっている。中心に扇型の大講堂を置いてデザインの焦点としている。古代ローマの円形劇場を思い起こさせる造り。その他は上記参照。
(コメント)外部から本館の正面にアプローチすると、印象的な本館中央の左右の建物が非対称である事が分かる。それぞれ凹凸があって複雑に見えるが、機能をうまく利用して、単純ではない分節された姿を作り出している。確か正面右側には興味深い棟があった。中央講堂の形は何となくフィンランディア・タロのメインホール外形に似てなくもない。形が特異で大きくて、大学全体の中心にうまくなりおおせている。写真で知られるように印象的な形なのだが、じかに見ると写真にはない一種の親近性みたいなものが感じられる。この場所を離れて後から思いだすと尚更その印象がある。
内部だが、1Fロビーはアールトらしくインテリアが色々と工夫してあった。ロビー全体が広いのに歩いていると幾つかの階段室、クローク、カフェ、その他のものが異なるシーケンスを作っていて、空間体験的には分節されている。これはフィンランディア・タロで感じたことと同じである。ボ〜ンと1つの場所でなくて「ここかしこ」がある。それにしても、柱の造作がフィンランディア・タロと同じだし、階段室の作りも似ていた。アールトは、結構こういう使い回しをやっている。アールト自邸の洗面所にはパイミオのサナトリウムと同じ陶器が入っているし、アカデミア書店のドアもどこかのと同じ。市街にあるオフィスビルの窓まわりにも似ているものがある。インテリアまで全部やってたら、使い回さないと無駄が多すぎるのだろう。でも建築家によっては潔しとしないのではないかと思う。
2Fは中央講堂への入口で、ロビーにはたまたま建築学科の学生の模型作品が展示してあった。ゆったりした場所である。講義中なので講堂には入らなかった。3〜4Fは講義室+廊下であるが、階段と講義室をつなぐ廊下がドアで隔てられている以外は、そんなに特徴が感じられなかった。こういう所は金のかけ方も少ないから誰が作っても同じっぽい。
☆学生会館ディポリ・センター (1966、R・ピエティラ&R・パーテライネン)、Otakaari 24, Espoo
ここは部外者立ち入り禁止である。前もって連絡すれば入れるのかもしれない。
場所はショッピングセンターのすぐ東で、独特の形態・色だからすぐ分かる。
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(解説)アールトの次世代リーダー的存在ピエティラの代表作。学生寮。彼の作風の常として、敷地条件を深く読み込もうとしている。敷地の高低差を生かすと共に、内部に天然の岩肌を露出させた。土地がもつ力強さが伝わってくると評価されている。
(コメント)中は入らなかったから、岩肌が内部でどう処理されたりしているのかは分からない。敷地部分は道よりわずかに高くなっている。回りをぐるっと歩くと、敷地に岩がごろごろしていたのが建築に生かされているのが分かる。建物は形が一定しない。でこぼこと入り組んだり変化があって形態的な面白さを作っている。例えば
青山のフロムファーストビル
が入り組んで面白い、などというのと違って、基本が四角形だという感じがもはやしない。部分的に四角であっても方向が違ったりする。
それと、実際に歩いていると建物の稜線がやけに上下したように感じた。後から写真を見ると建物の高さがすごく変化しているわけではないのだけれど、近くを歩くと建物のトップの角が間際に迫ったり遠のいたりするから、そう感じるのだろうと思う。建物は雪に映えてきれいである。これだけバリエーションがあると、二次元的ではなく三次元的に寮の機能を考えて当てはめる必要があろう。設計図も大変そうだ。そういう事は建築家はいとわずにやるのだろう。
さて、場所と建物の関係はどうか。岩肌というか、岩がごろごろしている場所がそのまま建物になったという感じは、よく出ている(気がした)。この建物は敷地となる土地の持つ力強さを生かしていると言われるが、そもそも土地の力強さとは何か。有史以前から人間にとって、場所の「気」、森の「気」、岩肌の「気」のようなものがあった。そういう自然界に立ち現れる場所ごとの強い雰囲気的なもの・オーラを、我々現代人も原始人ほどではないにせよ感じとることができる。ごろごろした岩というのはフィンランドの風土の一部であり、これも一種の「気」を発している。この<感じ>が、建物が建ってもうまく保たれ続けたかどうかであろう。
このような岩の感触と一緒に寮生活をするのは意味のあることだと思う。風土に繋がっているというのは、遥か過去の人間にとっては当たり前中の当たり前の感触なのに、現代人には欠落している(場合が多い)感触である。この緑色の寮舎を見ていると、そういう事を含めて寮の生活のイメージが何か湧いてくるような気がした。これは寮建築にとっては重要な資質だと思う。
で、この建物の「形」は何なんだろう。いま述べたように寮生活のイメージを湧かせてくれる上で、この「形」はすごく重要であり、貢献している。『ヨーロッパ建築案内 3』TOTO出版 P.187 にはごちゃごちゃと形のいわれが書いてあったけれども、実際にできたこの建物は、そんなに常軌を逸しているようには見えない。それよりも、アールトの作った建築空間の上にこの建物を位置づけてみたい。アールトはフィンランディア・タロの会議棟やイマトラの教会のように曲線的な壁・天井を用いた。しかしそれだけではなく、たとえ角張った室内でも、例えばフィンランディア・タロの1F2F部分について書いたように、単調には見えないのである。ヘルシンキ工科大学本館ホールでも書いたが「ここかしこ」がある。空間がシーケンスに沿って分節されていて1つの行き渡った直角座標系の中に居る気分がしない。もっとバラバラに体験される。
これは、後の建築家の空間的冒険(いかにも『ヨーロッパ建築案内』の著者が好きそうなやつ)を予測・準備する重要な空間的資質だったと思う。でもって、このピエティラの寮の回りをぐるっと回ると、どこを見ても「ここかしこ」である。統合された寮の統一空間はなくて、もっとバラバラに体験される。先から述べているようにこの体験はアールトが(潜在的に)準備してくれていたものだと思う。ピエティラがアールトとどういう関係だったかは知らないが、狭いフィンランドでのことだから当然ながら師と仰いでいただろう。この件についてもっと確実なことを言うにはピエティラを研究しないといけないが、とりあえずこの寮を見た限りでは、以上のように思った。
⇒バス103番→Kamppi
(エスプラナーディ公園南方)
☆フィンランド技術者協会ビル (1952、アールト、Ratakatu 9)
家具ショップ・アエロの1ブロック下の南側。ビルに9番地のプレートが出ている。
小さくて赤煉瓦で、ヘルシンキ工科大学のように横連続窓(に見せたダークな窓ライン)であった。
そういう1つの定形的な作りのはしりであろう。建物の高さは、他と軒を揃えている。
◆●アエロ 月〜金11〜18:00(土〜15:00)、日曜休
「2001年宇宙の旅」のソファを作ったエーロ・アールニオの作品も扱う。
それぞれの家具のタグにデザイナー名が記してある。面白いけどスペースが小さいから、
本当に見たい・買いたい人は展示在庫以外を店長と相談する必要があるだろう。
⇒徒歩
◆アーリッカ
◆ムーミンショップ
◆アカデミア書店
☆鉄鋼業者組合会館 (1955、アールト、通称Rautatalo)、Keskuskatu 3, Helsinki
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(解説)アールトがヘルシンキ中心部に建てたオフィスビルの1つ。もともと鉄鋼業者組合会館として建てられたがのちに所有者が変わっている。ラウタタロ(鉄の家の意)と呼ばれる。
(コメント)外壁が緑で、窓まわり緑の建材は、感触としては電気会社本社ビルの北面と似ている。しかしもっと窓が密だし、何よりも建物がもっとくたびれて見える。しかしくたびれた感じもサマになっていていい。特に出入り口付近(ついでに思い出したが、コルビュジェのサヴォア邸が一時荒れた時の写真を見たが、単にぶざまだった)。
2階のアトリウム(吹き抜け空間)が明るくていいらしかったが見なかった。
□休憩:駅近くのカフェにて(ラシ・パラッツィ)
*酒屋
*スーパー(S-Market)で買物
□夕食&ワイン:ホテルの部屋にて
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