ヘルシンキ建築日誌 2月20日(日) (→HOME)
□朝食:ホテル
⇒トラム4番
★カタヤノッカ地区(全般)
カタヤノッカ地区は、その入口にウスペンスキー寺院がある。
また、以下に書いた建築工匠の住宅群があるほか、南の海側には古い倉庫が沢山並んでいる。
◆エンソ・グッツァイト本社ビル(1962、アールト) 、Kanavakatu 1, Helsinki
オフィスビル。それらしいビルは1つしかなかったが、アールト作品っぽくなかったので、
結局分からずじまい。
★ウスペンスキー寺院(この時はミサ中だったので外観のみ)
解説・コメントは後ほど書く。
★カタヤノッカ地区の建築工匠の住宅群
写真をクリックすると拡大写真が出ます。
(解説)ここはウスペンスキー寺院から東に入ったエリアである。およそ1895-1915年頃をフィンランドではユーゲント期と呼ぶ。この頃、工業専門学校卒で建築家の下で監督などをしていた建設工匠達が、比較的安価な煉瓦造中層住宅を自分たちでプロモートして売り始めた。様式を換骨奪胎して大衆的にしたそのデザインは、目を楽しませ、その大量さゆえに確実にヘルシンキの風貌の一部となっていった。カタヤノッカ地区はユーゲント期に一気に開発され、こういった工匠達の建築をよく見ることができる。またゲセリウス・リンドグレン・サーリネン事務所の初期の作品もある。意匠の特徴が出やすいのは出入り口付近、窓まわり、角まわりなどである。
この地区の建築をアール・ヌーヴォーとして紹介する記事もあるが必ずしもアール・ヌーヴォーとして片付けられるものではない。
(コメント)建築工匠達の建築については、すでに
ヘルシンキ市全体についてのコメント
の中でかなり書いた。様式、民族調の意匠、アールヌーヴォー、ユーゲントシュティールなどの「もじり」が多いように思うと書いたが、とにかく単なる様式的ではないし、ユーゲントシュティール的とか表現主義的とも言い切れないと思うし、では異国情緒かというとそうではない。ヨーロッパを出自としているけれども、見た目は独特である。では、様式から開放されてオルブリッヒのゼツェッション館の様に時代の「新しさを謳歌」しているかというと、そうも見えない。どこまでも一般住宅としての楽しい見た目を作っている。受け手である当時の住宅購入者の美的観念は、現代とかなり違った筈だ。今から見ると一種の節度があって、ある範囲内でのデザインの遊びなのだが、当時にしてみたら「何でもあり」に見えたのではないか。
ちなみに本物のアールヌーヴォー建築は、カタヤノッカで見られるように壁の表面に植物模様を書いたような感じとかなり異なって見える。パリ16区にはギマールのアールヌーヴォー建築などがあるが、カタヤノッカ地区とかなり違う。パリ16区を中心とした写真を入れておいた。16区はアパートの凸凹が多くて、カタヤノッカより造作に金がかかっているようである。また窓に柵があって、そこがアールヌーヴォー的な意匠の見せ場の1つとなっている。カタヤノッカの建物がシンプルにアール・ヌーヴォーと呼ぶにしては違うところがあると分かるだろう。詳しい事は是非ご自分で見比べてみて欲しい。
⇒トラム4番→10番
( エスプラナーディ公園南方)
★●建築博物館 水曜以外10〜16:00、水曜〜20:00、月休
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(解説)建築博物館は、エスプラナーディ公園から500mくらい南に下がった所にある。西に隣接するアート&デザイン博物館が西側に入口を持つのに対し、この博物館の入口は東側でそっぽを向き合っている。20世紀フィンランド建築家に関する資料があるが、それだけでなく19世紀的な博物館の建物がきれい。ミュージアムショップには写真集などもあり。
(コメント)行ってみたら、特別展としてブダペストの建築写真展とイギリスかどこかの建築家のドローイング展(小規模)をやっていた。我々のような建築観光客にとってはフィンランド建築家の資料を見せて欲しいところだが、常設展は閉鎖されていた。冬で人が少ないせいだろうか? これでは我々にとってはあまり意味がない。
★●アート&デザイン博物館 水曜以外11〜18:00、水曜〜20:00、月休
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(解説)20世紀のフィンランドデザインを集めた博物館(正確にいつごろからのデザインを集めているのかは知らない)。
建物は 1895年建立。
(コメント)私達が行った時、1階は照明器具の常設展といった感じで、電灯の黎明期のデザインが多く出ていた。古いものが多く、そんなに優れた最新のデザインを展示しているわけではなく歴史的な観点で集めてあるみたい。フィンランドという国は一説によると、ローソクの消費量が世界一多い。冬の閉ざされた夜などに照明を工夫するという、そういう習慣や観念が発達していた。だから電灯が現れた時にもその見せ方の工夫がすぐできたのだと思う。
2階はたまたまNYのアールデコ展をやっていたが、家具のウェイトが大きく、ツボやガラスの小物などはあまり良いのが来ていない気がした。展示全体が日本で行われるものより小規模に思える。地下は現代フィンランドデザイン(工業デザイン、家具デザイン、など)をざ〜っと集めて見せてくれる。あまり体系的でなくゴチャっと集めている感じ。もし日本でこういう展示を行うと、凝りすぎて体系的に見るものが多すぎて飽きてしまう気がする。それよりは、要点をかいつまんだこういう展示の方がいいかもしれない。2階の展示もかいつまんだという感じ。
□昼食:アート&デザイン博物館の中のコーヒーショップ
⇒トラム4番
( 中央駅の西・西北)
★●国立博物館 (1902、ゲセリウス・リンドグレン・サーリネン事務所)
火・水11〜20:00、木〜日11〜18:00、月休
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(解説)ナショナル・ロマンティシズム時代に、そのスタイルで作られた。1Fエントランス・ホールにはカレワラを題材にカッレラが描いた天井画がある。先史時代から現代までの展示がある。
(コメント)まず、内部は撮影禁止になっていたので外観しか撮影していない。
中世の教会のような外観は、ナショナル・ロマンティシズム建築の1つの代表的なパターンとされる。ルネサンス以降のヨーロッパ的様式でなく、もっと土着の建築意匠を現代的に蘇らせようとしたのだろう。しかしこんな感じの教会が本当にフィンランドらしいのだろうか。フィンランドの教会は、基本的に木造しかなかった筈だし、その意匠は19世紀にエンゲルが各地に似たような教会を建てさせる前までは極めて土着的で、もっと変わった形をしていた。つまり国立博物館のこの意匠は民族的・ナショナリスティックなものの「イメージ」であって、本当に過去を参照したわけではないと言わざるを得ない(と思う)。
アテネウム美術館のコメントで書いたが、この運動は民族独自色を打ち出したい一方、ヨーロッパを出自とするポジションからは絶対に離れられないし、離れてはいない。本物の19世紀以前の土着的な教会は、あまりにも「ヨーロッパ」から離れすぎていたのではないか。それで、ヨーロッパに内属しながらも地方性・個別性を出すようなイメージを「作る」必要があったのではないか。
しかしナショナル・ロマンティシズム建築をその出自の不明確さだけから批判することは出来ない。作品として出来栄えが重要で、その意味ではこの外観を近くで見ると、石材の表情をうまく作って、見ごたえがあると感じた。国立劇場がまだバロック的雰囲気を残しているに対し、こちらはより独自的にスタイルを「確立した」かの如くである。一言でいえば「それなり」って感じ。
但し内部は私としては感心しなかった。入ってすぐのドームは、ガレン・カッレラの天井画はともかくとして、単に「ドームの形にしました」という感じで、全体が緻密な空間性を持つにはディテールや内壁面が間のびしている気がした。どうも同じサーリネンのヘルシンキ中央駅でも正面入ってすぐのホールは「形をこうしました」というだけに見えてしまった。博物館の中に入ると、プレヒストリーの部のアーチの並びはそれなりだし、部屋の間にちょっと段差があると変化に富んでいて、部屋から部屋へ移るのが楽しい感じはした。しかしキアズマで感じたような展示室自体が空間的な美しさを持つとか、そういう魅力は感じなかった。サーリネンにとっての空間性の問題は、ヘルシンキ中央駅のコメントなどに書いておいたので、ここでは繰り返さない。
ここから以降は展示内容に関して書く。ナショナル・ロマンティシズムというのは、要するに国家たるに足る民族としての「証明」が欲しかったのだ、という見方ができる。するとこの建物の外観で書いたように、ヨーロッパに内属するという点を<外さずに>独自性を打ち出さねばならない。
この博物館も(そして展示も)ナショナル・ロマンティシズムを推し進める立場で作られたとしてみよう。すると、まず前史は土着民の話であり独自の民族性の主張になっているだろう。次にいきなり古代キリスト教に移る。キリスト教以前の土俗宗教の紹介は一切なしである。これは資料がないという事もあるだろうが、「我々はヨーロッパ人です」と言っているように思えた。中世の教会を模した部屋があったのだが、あれは恐らく設計の時から「ここは中世の教会を展示する」と決めないと出来ないような作りだったように思う。建築家3名と施主は最初から展示案を立てていて、それが現在もかなり忠実に踏襲されているのであろう。
次にしばらく行くと16世紀頃の生活が紹介されている。ここにはヨーロッパ「文明的な」文物がありったけ並べられている。フィンランドは16世紀頃は辺境の地だったから、たとえ中央の文化が入ってきていたとしても、それはごく一部の貴族にしか行き渡らなかった筈だ。しかし展示は全面的にヨーロッパ的生活を謳っている。当時の一般の人々の生活紹介は殆どゼロに近い。何の反省も無く「ここはヨーロッパ」と断言しているかの如くであった(まあ尤も、ごく最近は別として昔の博物館展示って大体庶民の生活が欠けているのかも知れないが)。
結局、展示全体は(現代に関する展示部分は除いて)基調として「ヨーロッパ」を謳っており、民族の独自の部分、例えば降雪の風土とかにはあまり触れられていない。民族独自の習慣に触れた部分もあるけれど、展示量が少ない上に、独自の民族だという点を強調するようなディスプレイにはなっておらず、博物誌的に整理して並べただけという感じに見えた。
う〜ん、ナショナル・ロマンティシズム的にはこれで良かったのか足りないのか。部外者である私には分からないが、少なくともこの運動がよく言われるように「民族独自性を打ちそうとした」というのは一面的すぎる。というか、「ヨーロッパの枠内で」という厳しい条件が無意識のうちにあったといえよう。いかにヨーロッパの一員であるか(あったか)を表明することが大変に重要だった。16c貴族の生活の紹介展示は、「我々は未開人ではなくて、こんなにヨーロッパの文明的な一員だったんですよ」と言っているのである。そういう事が「独立国家たるに足る民族だ」と主張する上で必須だったのだと思う。
⇒トラム4番
★ウスペンスキー寺院 (1868)
火〜金9:30〜16:00、土〜14:00、日曜12〜15:00(礼拝時は入場不可)、月休
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(解説)北欧最大のロシア正教寺院。ロシア人建築家ゴルノスタイェフが建てたスラブ・ビザンチン様式。ちなみに、赤レンガは雪によく映えるから建材として雪国フィンランドに大変マッチするのだが、ロシア正教寺院がこのような赤レンガを使うために、ロシアのイメージが勝ってしまって他には用いられなかったと伊藤大介は推測している(伊藤大介『アールトとフィンランド 建築巡礼18』丸善 P.106)。それを大々的に使って見せたのがアールトである。但しアールトの煉瓦の赤はもっと明るい色である。多くの人がそれを見て感心し、赤レンガは大々的にアパートその他で使われるようになった。
(コメント)まず、ウスペンスキー寺院は見学した際に幼児洗礼式の最中で、内部はとても撮影できるような雰囲気ではなかった。
外観を見ていると、赤煉瓦の赤が目にしみる。アールトの赤レンガと違ってやや暗い赤であり、ギリシア正教が時を刻み続けてきた年輪のようなものを感じる。高台にあるというのは、どこからでも見える事を意図したのだろう。集中堂方式の中央ドームがあって、東側にアプスがある。内部的な要請に従って外側は複雑な入り組み方をしている、というか、外見の優美さも当然考えているでしょう。内部はヘルシンキ大聖堂と違いドームの分だけそのまま天井が高い。そして装飾や内壁に描かれた絵が多く、その意匠密度のようなものがハンパじゃない。これが相俟って、空間的な奥行き感というか、威風というか、宗教的な深みのある空間を作り出している。さすがに集中堂方式を手がけ続け、ソフィア寺院を作ったギリシア正教(東ローマ帝国のキリスト教)だけある。ドーム空間の効果は抜群である。
装飾や絵画の意匠は、プロテスタントから見ればコテコテすぎるって事になるだろうが、空間を作る力を確かに持っている。ローマに行った時に、サン・パオロ・フォリ・レ・ムーラ大聖堂を見たのだが、あのバシリカ内部と同じくらいの装飾・絵画密度を感じる。まあ実際はサン・パオロの意匠の方が優れていたかもしれないが、こちらは何といっても高さのあるドーム空間の迫力がある。アプス正面はギリシア正教らしくイコンの山で、あれが空間を作っていると言えるかどうかは見方次第。
あと、この教会で気付いたのは会衆の為の席がとても少ない事だ。ラテン十時平面の出っ張りが少なくて、同じ集中堂でもヘルシンキ大聖堂の方がずっと沢山会衆を詰め込む為の椅子を用意していた。入れる会衆が少なくて教会が豪華だという事は、誰が金を払ってこの教会を作ったのかが当然の疑問として浮かび上がる。まあ19世紀にはもっとヘルシンキにもギリシア正教信者が居て席も沢山用意されていたのかも知れないが、それにしても資金は足りないだろう。ということは、当時のギリシア正教本部(ロシアのどこかにあるのでしょう)が、ヘルシンキという場所の重要性をかんがみて出費したのでしょう。さすがの財力です。
*オールドマーケット周辺のデザインショップを探す(見つからなかった)
・まだ早かったが、今日はこれにて終わりとした。
*マクドナルド
⇒トラム4番or3番?
□夕食:ホテルの部屋にて
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